「自分の幸せ」を考えすぎない
『木を植えた人』という本を読んだ。
人知れず木を植え、山奥の荒れ地を緑豊かな土地に変えた男の物語だった。
最初に読んだ時
「彼はなぜそんなことをしたんだろう?」
と疑問に思った。
本の中には、その人が木を植え始めた動機などは書かれていない。
ただ「この土地に緑が必要だ」と思ったことだけが記されてあった。
なぜそこまで耐強く、誰に頼まれた訳でもないのに何十年と時間をかけてその仕事に取り組み続けることが出来たのか、木を植えている間彼はどんな気持ちでいたのか、そんなことについてはなにも書かれていないのだ。
彼はそれで幸せだったのだろうか?
よく
「自分にあった仕事は何だろう?」
「何をすれば自分は幸せになれるんだろう?」
という悩みを耳にする。
というか、私自身もそんな悩みにどっぷり浸かっていた時期があった。
今だって、もしその答えがあるのなら是非とも知りたい。
ただ、この本を読んで思った。
「自分の幸せ」を考えることに、あまり意味など無いのかも知れない。
この物語は、木を植えた男を傍らで見守る「私」の視点で語られる。
私は男のことを「無私」と表現していた。
無私でいたからこそ、彼は自分の仕事に向き合い続けられたのだ。
それは自分を省みない「自己犠牲」とは違う。
彼は決して自分を犠牲にして、人々に奉仕するという姿勢ではいなかった。
ただ、自分の中に降ってきた「木を植えよう」というアイディアを淡々と実現させていっただけだ。
そこに何か打算的な思いがあった訳ではない。
もし男が、「木を植えることによって良い思いができるのか?」ということを考えていたならば、荒れ地が森どころか草地に変わる前に辞めてしまっていただろう。
1万個のどんぐりを植えて、芽を出すのはたった千本かそこら。
そのくらい忍耐のいることだから。
男が木を植えている間、世界は2度戦火に包まれた。
しかし2度の戦争のさなかにおいても、男は全く影響を受けることなく淡々と自分の仕事に向き合っていた。
むしろ、目の前に向き合うべき仕事があったからこそ、周囲の状況に振り回されずに済んだのだと思う。
その結果として、植物が芽吹き、そこに住む人々の心が次第に晴れ渡っていき、最後には多くの人が移り住み、幸せに暮らしていく豊かな地になった。
それが彼の功績であることは誰にも知られることもなく、間もなく彼は死んだ。
彼にとっては、それで良かったのだろう。
なんとなくそんな気がした。
短いし、文章も読みやすいので1時間ほどで読むことができる。
静謐で、優しくて淡い世界に浸ることのできる物語だ。
- 価格: 935 円
- 楽天で詳細を見る