自分の生き方が不安でしかない
今日のブログは、ちょっと恥ずかしい話。
昨日、おとといと、私はとてつもない不安に襲われていた。
このブログを書いている今から思うと、この2日間はいつもの場所で、いつもの生活を送りながら、遠くに旅をしてきたみいな感覚だ。
何か特別な出来事が起こった訳ではない。
ただ漠然と自分の内側から、日ごろ抑え込んでいるネガティブの波が、じわーっとっと染み出てきて体中を蝕んでいくような、そんな感覚だった。
・私の人生、このままでいいんだろうか?
・ずっとこのまま「負け組」のままなんじゃないだろうか。
・「好きなことをやる」と意気込んでいる割にちっとも前に進んでいない。
・失敗した時の安全策として、キャリアを積んでおくとか、資格を取っておくとかいったこともしていない。
・周囲に信頼できる人もいない。人を避けて生きてきたから、ずっと孤独なままだ。
自分の生き方に、全く自信が持てない。
常に自分が後ろめたい存在であるような、そんな感覚がつきまとう。
普段は何食わぬ顔をして生きているが、ふとした瞬間にボロが出てしまう。
歌うことも、踊ることも、文章を書くことも大好きだ。
それで稼げなかったとしても、ずっと続けていきたい。
それは10代後半から20代半ばまで長いこと「好きなことをやる」ということを封印して生きてきて、人生どうにも行き詰ってしまったからこそ思うことだ。
それらが私にとって、必要不可欠だったのだということは、身に染みて実感している。
だからやっぱり好きなことを辞める、という選択肢はない。
だけど現実は、日々の支払いにも事欠くほど金欠の状態で、今月支払うお金を確保するのにもヒイヒイ喘いでいる状態。
貯金だってろくにしていない。
キャリアもない。
別に欲しいと思ったことなんてなかったけれど、少しくらい意識しておいた方が良かったかしら。
新卒で入った会社を辞めて5年。
友達との時間とか、お金とか、何もかも捨ててやってきたはずなのに、ちっとも前に進んでいない。
5年という年月を改めて突きつけてみると、自分が失ってきたものの大きさに呆然とする。
自分は本当、何をやってきたんだろう。
こんな中途半端な精神で、それでも好きなことをやるだなんて、ちゃんちゃらおかしい。
私の人生は「表現活動がしたい」という欲望にだけフォーカスが当たっていて、他のことは全てないがしろにされている。
受験に例えれば、滑り止めを考えず、第一志望だけ受験するようなもの。
うまくいけばいいけれど、うまくいかなかったら、何も得ることができない。
「第一志望しか受けない」ということは、「失敗はあり得ない」という道を選択したということだ。
それにも関わらず
結局私の状況が変わっていなかったり、この手の不安に押しつぶされてしまったりしてるのは、
好きなことに全力で立ち向かっていないから。
退路は断ってるんだから、あとはその道で幸せになるしか道は残っていないじゃないか。
そのために、今は目の前にあることをとにかく一生懸命やる。
好きなことも、好きじゃないことも。
あとは、自分が望むものを本気で取りに行くことだ。
やりたいこと、人間関係、色々な面で、自分から手を伸ばしにいくことをしないといけない。
今までの私は、自分で自分を前に進めて、望む方向に向かって行くということをしていなかった。
怖いこともたくさんあるけれど、それ以上に希望の方が大きいと感じられる。
ヘタに「大きな成功」を夢見るのではなく、自分にできる表現を日々行っていくということを大切に生きていく。
毎日、自分の好きな世界の方を向いて、じっくりと味わいながら、楽しみながら生きていく。
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絶望的な気分から心が回復し始めた昨晩、ファミレスに籠って作業を終わらせた後は、火照った頭を沈めるために、2時間かけて歩いて家に帰った。
夜の散歩は大好きだ。
感覚が研ぎ澄まされて、切なさとか、じんわりとした喜びとか、そういった心の奥底から染み出てくるようななんとも言えない感覚を味わうことができる。
お供はこちらのアルバム。
包み込むような、深くて可憐な声とピアノの音色。
パステルカラーの絵本のような世界観に思う存分浸った。
素敵な音楽を聴いて、やっぱり改めて私も、心の中で感じた色々な世界を表現したいと思った。