失敗して学んだ、他者と何かを作る上で大切なこと
今日は、Youtubeに新しく上げる「踊ってみた」の動画撮影を行った。
今日で4回目となる撮影、ちょっとは慣れてきたよ!と言いたいところなのだけど、今回はちょっと勝手が違う。
一人じゃないのだ。
一緒に踊ってくれる人と、動画を撮影してくれる人と、3人で撮影を行った。
今まで一人でやっていたことに、仲間が出来た。
3人で公園に行って撮影の準備をしている時は、その光景になんだか胸が熱くなってしまった。
私に初めてできた仲間は、今利用しているADDressという住居のサブスクサービスで知り合った人たちだ。
ADDress | 定額住み放題 多拠点生活プラットフォーム
これは全国にある、空き家などを再利用した”拠点”に月4万円からで滞在できるサービスなのである。
(詳しいことはまた別の記事にしたいと思います!)
今回訪れた拠点で知り合った人がブレイクダンスをする人で、ジャンルは違えど
(おお!ダンス仲間!)
とちょっぴり嬉しくなった私は彼に声をかけて、出演を依頼し、そしてSEをやっている傍らで動画編集もやっている素敵な女の子がカメラマンを買って出てくれた。
自前のカメラを持ってきてくれて(一眼の、ちゃんとした高いやつ)、私のihoneを三脚に固定し、カメラ2台での撮影。
出発日程の関係で時間はあまりなくて、踊る曲を決めてから間1日しかない中で急いで振り付けを覚えた。
2人で練習している時、私は
「振り付けは間違えても大丈夫だよ~」
と言った。
それは本心で、振りを完ぺきに覚えることよりも、楽しく踊ることの方が大切だと思ったから。
それに私自身も間違えるし。
振付だけじゃなくて、動画撮影のやり方に関しても、かなりゆる~く捉えていた。
(最初からかっちり決めすぎていると、思い通りにならなかった時に嫌になっちゃう)
(現場で起こるハプニングも作品を面白くできる要素になる)
そんな風に考えて、私は「きっちり決めすぎない」ことをモットーとしていた。
なにより、自分自身がもともと「ちゃんとしなきゃ」と思ってしまうタイプだったので、そんな息苦しい性格を治したかった。
そんなこんなで、猛暑日の中でも最も太陽が高くのぼる正午の刻に、私たちは撮影場所の公園にやってきた。
固定のカメラを置いて、カメラから見切れない位置を確認する。
いつもは一人でやるから、カメラを置いて、録画ボタンを押してちょっと動いてみて、戻って録画したものを確認し、ズレていたら位置を調整する。
でも、今回は3人も居るんだからそんな面倒なことはする必要はない。
私はカメラの向こう側に立って動いてみる。
他の2人がカメラを覗きながら位置や角度を調節する。
「ここが真ん中だよ」
と言われた位置に合わせ、カメラに収まる両端を確認した。
「だいたいここまでは行けるな。」
と大雑把に場所のあたりをつけ、本番撮影に入った。
結論から言うと、定点で撮った映像はほとんど使い物にならないものになってしまった。
冒頭以外の箇所で、ほとんど見切れてしまっていたのだ。
撮影が終わって解散して、カメラの映像を確認した後にそれを発見した時は一気に気分がズドンと落ち込んだ。萎えた。
(ちゃんと撮った直後に確認しておくんだった)
それに、見切れ以外にも「自分が思っていたのと違う」と、小さいことだけど思うことがあった。
駅の人混みをかき分けながらモヤモヤの原因を手繰り寄せていっても、原因の行きつく先は自分にしかならなかった。
たかが踊ってみた動画の1本かも知れないけれど、私にとっては「自分の作品」だ。
そして、それについて誰かに協力を頼む以上、自分の中のイメージがふんわりとしていてはダメなのだ。
自分一人でやることと、他者と一緒に何かすることは全然違う。
一人だったら「やりながら考えていく」というやり方でも問題はなかったけれど、複数人でやるときは「同じゴールを目指す」という風にした方がはるかにやりやすい。
自分以外の人と何かを作る時に大切なのは、イメージの共有なんだ。
同じものでも、人によって感じ方や捉え方が違うのは当たり前で、だからこそ「こうしたい」というイメージがあるんだったら事前に自分の中でイメージを固めておいて人に説明しないといけない。
会社でだって、新しいビジネスをやるときは企画書というものをつくるじゃないか。
あれは、ビジネスはみんなで連携して行うものだから、事が始まる前に「目指すもの」を共有するためのものなんだよな。
私はユルくやっていきたいと思ったし、それ自体は間違った考えではないけれど、企画を作りこまないのは単なる手抜き。
そして、ユルさと手抜きは全くの別物だ。
それに確認だって大事だ。
ある人が「これで良い」と思っても自分が「これじゃダメ」と思うことってたくさんある。
だから、仲間がOKを出したものであっても必ず自分の目で確かめないといけない。
その工程を省くことも手抜きに値するんだ。
説明を一切省いて、確認も怠って、すべてが終わってから「これじゃない」と文句を言うのはお門違いも良いところ。(自分で書いていても「そんなことも分かんないって、どんだけコドモなんだよ」って思う。笑)
今後は人と何かをする機会が更に増えていくと思うから、是非心がけていきたいところだ。
最後に。
自分の思い通りにならない部分はあったけれど、それでも楽しかったことには変わりはない。
誰かと何かをするということが、こんなにも楽しくて充実感を与えてくれるものだという気持ちが味わえてよかった。
年齢はイイオトナだけど、なんだか青春しちゃったよ。
こうやって人は、大きくなっていくんだね。