おひまでなにより。

暇すぎて、忙しい人生にしたい

不確かな情報に自分を見失う

※この記事はデマに踊らされた一個人の記録です。決して特定の情報を発信するものではありません。
なのでどうぞ、笑って読んでやって下さい。
 
 
3月30 日 月曜日
 
「食糧買っておいた方が良いよ」
開口一番、バイト先の店長にそう言われた。
4月の頭の、東京都の封鎖が現実味を帯びてきたという話だった。飲み屋で知り合った「政府関係者」から聞いたらしい。
(今思えば眉唾物もいいところだ。内容も発信源も、怪しいニオイしかしないじゃないか。)
 
「いよいよか…」
私はその情報を何の疑いもなく「確かな情報」として受け取った。
最近の報道を聞いて小さくくすぶりはじめていた緊張感が、自分の中で一気に燃え上がるのが分かった。頭がクラクラしてきた。
 
正直、コロナウィルスに対してそこまで危機感を感じたことがなかった。
若いし、低血糖という不調の他には特に持病もない。だから感染しても大したことはないと思っていた。過剰反応も必要以上に怖がるのも間違っていると思っていた。ましてや買い占めを行う人の心理など、理解できなかった。
ウィルスに関する一連の報道を聞いても、どこか遠くの出来事のようにしか感じられなかった。
 
でもここに来て、東京で感染者がみるみるうちに増えている。気がつけば連日報道されるその数字に、注意して耳を傾け始めている自分がいた。これは他人事じゃ済まされないのかも知れない。
 
特に外出自粛要請の出た先週末、賑わっていた街が閑散とするのを目の当たりにして、自分を取り巻く景色が確実に変わってきているのを強く感じた。
 
すっかり変わってしまった景色は、週明けもそのままだった。
 
月曜日、バイト先の店に入ると、店内が明らかに静かだった。いつもこの時間にいる常連さん、打合せでしょっちゅう利用してくれる近隣の企業の人たち。みんな姿を消していた。それから冒頭の店長のひとこと。
 
心の中は、仕事どころでは無かった。
 
-本当に非常事態なんだ。
-備蓄って、何を買おう?
-どのくらい買えばいいんだろう?
 
頭の中でいくつもの想定をした。
 
とりあえず、向こう1ヵ月を見越して買い物することにした。
ロックダウンされても、スーパーには行けるらしい。でも発表されたばかりだとみんな買い物に殺到するだろうから、行っても何も買えないかも知れない。それに品切れになったら入荷までに時間もかかるかも知れない…等々、自分なりに考えてそうすることにした。
 
買ったものは、今週来週で食べる野菜や豆腐、乾物の海藻、合わせて4000円分ほど。仕事中に作った買い物リストを片手に、閉店間際の人でごった返す狭い店内をぬいながら、必死で目当てのものを籠に詰め込んだ。
 
それからドラッグストアにも寄り、無くなりかけていた洗濯洗剤や石鹸類等、1ヵ月間全く買い物しなくても過ごせることを念頭に購入した。
 
持ち合わせの関係で、思っていた分全部を買うことは出来なかった。
 
帰り道も帰宅後も、頭の中は今後1ヵ月どうやって食べていくかでいっぱいだった。
 
どこか興奮が覚めないまま、いつもより遅くに床についた。
 
 
3月31日 火曜日
 
朝、清掃のバイト中も、備蓄のことで頭がいっぱいだった。
「とにかく大変なことが起きている」という意識がずっと抜けなかった。
 
今思うと、ひとりでに「非常事態モード」に飲み込まれた「ひとり相撲プレイヤー」なだけなのだけど、とにかくその朝も興奮状態は続いていた。
 
清掃の現場から喫茶店の仕事に行くまでの小一時間を使い、昨日買いそびれた食材をまた買い込んだ。野菜、レトルトカレー、乾物、油、などなど。
 
ちなみに、自由に買い物に行かれない間の食生活も全てインスタントにするのではなく、今まで通り蒸し野菜や煮物などのほっとするごはんをちゃんと作り、たまにレトルトで息抜き…のように考えていた。野菜は冷凍保存しておくつもりだった。
 
「これで一通り揃えたけど…」
 
想定していた分の買い物は無事完了した。
でも、何か引っかかるものがあった。
 
その引っかかりが何なのか。
考えてみたら、ふたつのことにあるようだった。
 
ひとつは、不安が消えないこと。
どれだけ買い込んでも、いつかは尽きる。とりあえず1ヵ月分確保したとしても、1ヵ月じゃ済まないかも知れない。そうなったらどうしよう。やっぱりもっと買っておくべきか。
 
そう、キリがないのだ。
こんな状況で、この先確実に起こる事が見通せる人なんて多分いない。ということは「1ヵ月分じゃ足りない」可能性も十分あり得る。じゃあ2ヵ月分買えば安心か?するとまた「足りないかも」と不安になる。買い込んで溜め込んだところで、絶対的な安心は得られない。
 
引っかかりのもうひとつは、個人的な考えによるものだけど、自分の理想とする生活スタイルに反していたことだ。
 
3月頭からちょっとずつ断捨離をしている。
断捨離は人生初の試みだが、これをやると中々買い物ができなくなる。
「自分にとって本当に必要なもの」以外のものを手にすることに、ためらいを覚えるようになるからだ。
 
それからは、食品の買い方も変わった。
以前は「週イチでまとめ買い」が当たり前だったが、今は「その都度食べたいものをちょこちょこ買う」スタイルだ。
やってみると、この方が一回一回の食事の満足度も高いし、食べきれない分があったとしても、家にある食材を自分で把握しきれているので献立と買い物であれこれ悩むことが減った。自然と無駄な出費も減った。
「今日は小松菜だけ買い足して、家にあるきのこと炒めよう」
みたいな感じ。
なんていうか、食生活とかそういうこと以前に思考がスムーズになった。
そんな新しい自分に満足だった。
 
それが今回の買いだめという行為により、せっかく新しく生まれ変わった自分が後退してもとの場所に戻ってしまったような気になって、少し落ち込んだ。
 
しかし、この「心の引っかかり」の正体に気がついた時、私の身をくるんでいた非常事態モードは、急速に解除されていった。
少しずつ、平常心が戻って来た。
 
その日の帰宅後ラジオをつけたら、いつもの局の番組で「デマ特集」が取り上げられていた。
 
なんでも、東日本大震災での経験からSNS上のデマを真に受ける人は減ったものの、知り合いから直接聞いた話だと信じ込む人が多いらしい。
まさに私に聞かせる為の放送じゃないか。
 
まあ週末には季節外れの雪も降ったし、街には人もあまりいないしで見える風景がいつもと違うものだから、そういうモードに入りやすくなってしまうのも無理もない。(という言い訳…)
 
そして、非常事態モードから我に返ってみて感じたのは、「これから自分は何をすべきか」をきちんと考えなければならない、ということだ。
 
別に「大変な状況の世の中を良くするために自分がすべきこと」なんて大そうなものを考えたいのではない。あくまで個人として「これからの人生をもっと楽しくするために、今自分は何をするべきなのか」ということを、きちんと見定めていきたいと思った。
 
そのために大切なのが、自分を見失わないこと。周囲が暗いニュースや不安を煽る情報で溢れていても、冷静でいること。自分に必要なものや幸せをもたらすものに、きちんとフォーカスを当てられること。
難しいけれど、どんな状況下でもそれができる自分でありたいと思った。
 
それから、やっぱり備蓄は必要だと思う。
今後、突然事態が思いもよらぬ方向に急展開するかも知れない。
そんな時に何も備えがないと、人は簡単にパニックに飲み込まれてしまうと思う。
完璧な準備は無理でもとりあえずしばらくは生きていける、という状態を作っておけば、その後の冷静な判断にも繋がると思う。もちろん備蓄なんてしなくても冷静に物事を判断できる人だっていると思うが、私はそうではなさそうなので、ある程度蓄えておいた方が良いと思った。
 
とりあえずしばらくは、買い込んだ食材を消費しつつ、のんびりと楽しく、でも予防はきちんとしながら過ごしていきたい。