「恥ずかしい」ことでもチャレンジだ
内心ビビりまくって、声はガタガタだった。
こんなんじゃ、練習にならない。
それでも、今日はこれをやること自体に意味を持たせたかった。
公園で歌の練習をするってことが、自分にとってこんなにもハードルの高い行為だったとは。
私もハートもなかなかチキンよのぅ。
歌の練習場所って、確保することがなかなか難しい。
歌だけじゃなくて、音楽全般に言えることなのかも知れないけれど、音も出るし、人目も気になる。
公園で歌っている人って、たまに見かけたりしていたけれど自分でがやることはないだろうな、と思っていた。
だって、恥ずかしいもん。
だから普段は小声で行うトレーニングと、1~2週間に1度、音楽スタジオを借りて思い切り声を出す練習していた。
でも最近、その練習が全然足りていないことに気が付いた。
Youtubeのダンス動画と、ブログの執筆と、新しく始めたバイトと、移動生活と。
何から何まで身の回りの環境が変わりすぎて、自分が歌いたい人であったことが意識から抜けてしまっていた。
そして、一日でもたくさん練習をしてうまくなることが今の自分にとって結構優先度の高い事項であったことも、同時に思い出した。
本当は毎日でもスタジオに入って、思い切り練習したい。
でもスタジオは、一番安い所で1時間660円。
今の経済状況で毎日は、ちょっと難しい。
だからと言って「お金がない」から練習ができない、というのは違う。
私の人生の中における序列は「お金>歌うこと」ではない。
それに「恥の感情>歌うこと」でもない。
一番重大なのは、「練習ができていない」というこの状況を変えることだ。
急に切羽つまったような気になったけれど、近くに手ごろなスタジオもないし、家でも大きな声は出せない。
だから、公園に行くことにした。
平日の正午、図書館が隣接している、地域でも大きな公園。
ちびっ子たちが駆け回り、ママさんたちはおしゃべりに花を咲かせ、年配の方々がゲートボールに興じている。
誰も私のことなんか気にも留めていない。
恐る恐る口ずさむことから始める。
ビクビクしながらも、だんだん声を強め、発する言葉もはっきりとさせていく。
公園にいた人たちに私の声は聞こえていただろうけど、それでもわざわざ見に来たり、「うるさいから静かにしろ」と文句を言いに来たりする人なんていない。
そんなものなのだ。
それでも、公園を跡にするその時まで私の中のビクビクは消えなかった。
これは完全に、自分との戦い。
「恥ずかしい」って感じるのは、結局自分自身。
他人が私の代わりに恥ずかしがるなんてことはない。
だったらその感情を手放してしまえば、もっともっと自由に制限なく、色々なことに挑戦できる自分になれる。
「恥知らずになろう」とイケハヤさんも言っている。