おひまでなにより。

暇すぎて、忙しい人生にしたい

辞めて良い「やりたくない」と続けるべき「やりたくない」

仕事辞めたい。

でも、辞めるのは単なる逃げになるんじゃないか。

「辞めたいから辞める」が成立するほど世の中は甘くない。

 

今の仕事を辞めたいのに、そんな風に考えると踏ん切りがつかなくて、「辞めるor続ける」の選択肢を頭の中で交互にぐるぐる回しながら過ごしていた時期があった。

 

アルバイトでとあるIT企業のお手伝いをやっていた頃のことだ。

朝早めに出社して給茶コーナーの準備、午後はゴミ出し、共用部の整頓、それ以外は「何かやることありますか?」と聞いて振られた簡単な作業をやる、何もなければ待機。

そんな謎なポジションで働いていた。

 

家事とかは割と好きだったので雑用をすること自体は苦じゃなかったけれど、いくらお給料が貰えるからとはいえ、そのためだけに毎日6時間も割く生活を送っていると

「自分は何のために生きているんだろう…」

と、なんだか虚しさがつのってきた。

 

でもすぐには辞める踏ん切りがつかなくて、半年くらいずっと悩んで、でも結局辞めた。 

 結論、辞めてよかった。

というか、もっと早めに辞めときゃよかったと思っている。

 悩んでいた時期は本当に無駄な時間だったよ…トホホ

 

何でそう思うかというと、あのまま同じ職場にいても何も残らなかったと思うから。

将来に繋がるスキルとか、精神性とか、そういうものが養える環境ではなかったから。

 

つまり、続けたところで何にもならない、苦痛しか生まないものは、どんどん辞めた方が良いということだ。

 

逆に言えば、一見「やりたくない」「苦手だ」と思っても、「楽しい未来」や「理想の生き方」に繋がるようなことであれば挑戦してみた方が良いと思う。

 

最近、Pococha(ポコチャ)というライブ配信アプリを始めた。

 

インスタのDMに勧誘が来たことがきっかけになったのだけど、最初にメッセージを受け取った時は「ライブ配信なんて絶対ムリ!」と思った。

 

昔から話すことが苦手だった。

自己紹介では自分の名前以外に話すことが一切思い浮かばないし、そもそも「人前で話す」というシチュエーションに自分が居ること自体に軽くパニックを起こすほどの重症度だ。

大学の時に入っていた演劇サークルの稽古で5分間好きなことを話すという課題が出た時も、私は3分くらいで話すことが無くなって頭が真っ白になり、残りの2分間は手足を床に這わせて蜘蛛のモノマネをして埋めた。(「シュー」みたいな謎の擬音語くらいは言ったかな。)

喋るくらいなら身体を貼る方を選ぶのだ。

 

そのくらい、話すことに対する苦手意識がすごかった。

 

そんな自分が、喋りだけで、それもライブで、1時間も埋められるだなんて想像もつかなかった。

 

それでもなぜか「やってみよう」と思えた。

きっとYoutubeも始めたし、これから「自分のあらゆる側面を使って人を楽しませる活動をしていこう」と、ある意味覚悟を決めたからからかもしれない。

 

(やりたくない…)

毎回毎回、配信を始める前は気が重かった。

配信している最中もビクビクしていた。

毎日配信するのが理想と分かってはいても、どうしても怖くて5日くらいサボってしまったこともあった。

 

でも実際にやってみると、集まってくれるリスナーさんはたんくさんコメントしてくれるし、応援もしてくれる。

特別面白いことを言わなくても、有益な情報を与えることができなくても、ただ素の自分で話していれば良い場所だったのだ。

 

話す内容も事前に準備する必要はない。

その都度来てくれるリスナーさんとのやり取りを楽しめば良いのだ。

 

私も本当にしょうもないことしか話せなくて、この前は確か「冷蔵庫の人参がすぐにダメになっちゃって困ってるんだ~」なんて話をしていた。

 

それでも「癒された」ってコメントをくれる人がいる。

こんな自分の喋りでも何かしらの役に立つことが出来るんだということが分かった。

やってみたからこそ得られた驚きと感動だ。

 

そんなこんなで、まだまだビビりながらも、配信に対してちょっと前向きになれた自分がいる。

そして「話すことって思ったよりも怖くないし、自分も喋りで人を元気にできる」という新たな発見も得られた。

 

喋ることのハードルが下がったから、今度はYoutubeでもおしゃべり系動画を上げようと思っている。

新しい企画も思いついて、またワクワクが込みあがって来た。

 

苦手だから、という理由で諦めないで本当に良かったと思っている。

 

という訳で、

同じ「やりたくない」でも、先に繋がる何かが在るか無いかで大きく違ってくる。

 

無理をしてやる必要はないけれど、少しの勇気で「楽しい未来」が得られるようなものであれば、やってみる価値は大いにあると分かった2020年夏の終わり。