自分が幸せであることをすぐに忘れてしまう(&今後チャレンジしたいこと)
何も出来ずに終わってしまった…
昨日1日をそんな後悔で終えてしまい、そして今日という1日も、全く同じ感じで終わっていきそうだ。
今、非常によろしくない、ネガティブな感覚に包まれている。
自責と、焦り。
私を一気にネガティブモードに追いやる二大巨塔だ。
いかんいかん。
そんなものを感じる必要はない!悪霊退散!!エイヤッ
だって、自分を責めただけじゃ何も改善できない。
大事なのは、起きたことを冷静に受け止め、改善点すべき点を洗い出していくことなのだ。(偉い人の受け売り)
時間ならたっぷりあった。
昔みたいに会社に行く必要もない。
やりたいことができる環境は十分に整っている。
なのに、気づけばYoutubeをダラダラと観ている自分がいるのだ…。
もう言い訳のしようもない。
会社員をやっていた頃の自分からすれば最高に天国な環境にいるのに、どういう訳かいつの間に「不幸せモード」に入り込んでしまっている。
そしてそんな自分を発見して、つくづく思う。
幸せって、感じ方次第だ。
自分が幸せであることを、すぐに忘れてしまう。
いかんいかん。
やりたいことが膨大にありすぎると、しかもそれを達成するまでの具体的な道筋が見えていないと、つい現実逃避したくなってしまう。
でも、逃げないで実際に達成する気で向き合ってみると、案外大したことなかったりするものまた事実。
一番最初にYoutube動画を上げてみた時に、それを強く感じた。
まさしく「案ずるより産むがやすし」だ。
なのに、体得したはずの「産むがやすし」も、すぐに忘れてしまう。
新しいことにチャレンジするのが日課になってしまえば、この「案じグセ」も無くなっていくのだろうか。。
今ある「やってみたいこと」を具体的にいくつか挙げてみると
・Youtubeに「ダンスのエクササイズ動画」をアップする
・Youtubeに歌の動画をアップする
・好きな曲に自分で振り付けをする
・何かを学ぶイベントを開催する
・物語を書く
などなど
自分で「こういうのやってみたいな~」と思うものもあれば、頼まれて「やってみたい!」と思ったものもある。
まず着手すると決めているのは「物語を書く」ことだ。
これは、母からの依頼されたものである。
12月の祖父の誕生日にプレゼントする物語なのだ。
「『木を植えた人』という本のようなイメージで」
という注文だったので、今日は参考にすべく読んでみることからはじめた。(これが今日唯一のやったこと…)
とても短く、だからこそ印象的で、そして清らかな物語だった。
感想はまた、別の記事に書いていこう。
とにかく来月中に仕上げないといけないので、この記事を書いたらすぐにプロットを考えていかなきゃ!
その他にも、このブログを更新したり、ライブ配信もしたりと、やることはてんこ盛りのフルコース。
でもここで焦ってはいけない。
焦るなよ、自分。
冷静に、時には覚悟を決めて、腰を据えて取り組むんだ。
何が正しいかも分からなくなってきたこの時代。
結局確かなものって自分が「どう感じているか」しかないんじゃないかな。
コロナの感染を防ぐために外出自粛をするのが良いのか、それとも外に出て経済を回した方が良いのかはすぐに答えは出ないけれど、自分が楽しいと感じているのか、自分の良心はそれを「良し」とするのかといったことに関しては、自分の中にひとつ事実として存在するものがある。
だったらこの世の中、楽しんだもの勝ちじゃないか!
不自由な世の中でも、自分の中でパッとひとつ、電球を灯すことはできるものなんだと思う。
私はまだそれが常に出来ている訳ではないけれど、これも訓練次第でできるようになると信じている。
やりたいことに片っ端から挑戦して、ひたすら楽しく動き回って死んでいきたいな~。